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織田今川の激戦の地:知多郡東浦町八剱神社(村木砦跡)を訪ねて

先日、仕事で知多へ用事があったので、帰りに少し寄り道をすることにした。 目的地は知多郡東浦町にある八剱神社である。

とはいっても検索してこのページを開いた方以外にはいささか馴染みのない名前だろう。

八剱神社は戦国の時代、村木砦という拠点が築かれた場所である。

なぜこんな場所を訪れたかというと、近頃、桶狭間以前の信長の行動に興味を持っているからという単純な理由である。

桶狭間は大河ドラマをはじめとして映像化は何度もなされているほど有名だが、それ以外では弟をはじめとする一族との争いが中心で、今川との争いなどはあまり描かれていない。

西三河から尾張知多にかけては、父の信秀の代から織田と今川が激しく勢力争いを繰り広げた場所で史跡も多いが、なかでも村木砦を巡る戦いは個人的に大きなターニングポイントになったのではないかと考えている。

村木砦の戦い前後

この頃、織田と今川の勢力争いは、今川の方へと傾いており、信長にとってはかなり厳しい状況だった。

今川は西の前線拠点を安祥(今の愛知県安城市)からさらに西の重原(愛知県知立市)へと移し、鳴海、大高、沓掛を寝返らせ、さらに東浦緒川と刈谷の水野氏も勢力下に収めようとしていた。

東浦の衣ヶ浦(今の衣浦湾)に突き出た村木岬に目をつけた今川義元は、刈谷と村木の海上交通を管理していた村木の西にある臨江寺を制圧。 そして駿府で木材を加工し海上から運ばせて村木岬に砦を築き、重原との連携を強めて緒川と刈谷を分断し、水野氏に圧力をかけた。

水野信元の救援要請を受けた信長は、妻の父親で同盟相手の斎藤道三に援軍を依頼すると、道三は安藤守就に1000人の兵をつけて尾張へと派遣した。 信長は安藤に城を任せ、自ら村木砦攻略のために出陣するが、陸上のルートは今川方が抑えていたこともあり、熱田から海を渡り知多半島の西へと上陸する。 このとき強風による高波で海は大荒れだったが、信長は家臣の反対を押し切って強引に船を出したことが功を奏した。 信長は緒川城に入り、天王山(現在の村木神社付近)に陣を構えると、村木砦へと攻めかかる。

村木砦の今川勢は悪天候の中、信長が渡航して攻め寄せてくるとは予想していなかったこともあり、油断していたようだ。

それでも海に突き出た村木砦の攻略は難航し、信長の親衛隊も戦死者が多数出るなどして、ようやく陥落させたという。

あまりの激戦に、信長は戦いの後、戦死者に涙を流して悲しんだというが、それ以外にも村木村で今川方に協力した村人を処刑したという逸話も残っている。

父信秀の死から3年が過ぎ、不安定な状況下にあった信長にとって、ここで水野氏が今川方へと離反すれば他への影響も避けらなかったのではないか。 また尾張内の織田家の争いへの影響だけではなく、桶狭間を待たず、今川の支配下に入ることになった可能性もありそうだ。

八劔神社と石碑

八剱神社は村木砦の戦いでの戦死者や処刑された村人の霊を祀るために建てられたという。 社は尾張森岡の駅から北へ徒歩で5分と行かない線路沿いの住宅地のなかにある。

境内には小さな社があるだけだ。

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この日はあいにく曇りだったが、訪れる人もおらずゆっくりこの場を堪能することができたのはよかった。

境内の東側には来歴を示す石碑が立っている。

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先程書いたように、村木砦の会った場所は当時としては湾に突き出た岬であったが、衣浦湾へと注ぎ込む境川の河口がずっと南へと下り、海だった部分は水田がひろがっている。 また4枚目の石碑の写真にも写っているが、フェンスの向こう神社の境内の外はJR東海の敷地であり、林の先には武豊線の線路が走っている。

当然といえば当然だが、当時を偲ぶものはなにもない。 検索してみると、発掘品はいくつも出ているそうだ。 東浦町ではうのはな館という郷土資料館があり、そこに収められているのかもしれないが、地図で調べるとさすがに歩いて行くには距離があったので、今回は見送ることにした。

八劔神社を訪れるなら

個人的に村木砦の戦いが興味深い点としては、

  1. 今川義元が村木に砦を築くのに、本拠地で木材を加工し、海上から船で村木まで運ばせたという話は、後に羽柴秀吉の墨俣一夜城のエピソードを思い起こさせる。
  2. 愛知といえば広大な濃尾平野が広がり、クルマの街というイメージだが、この頃は人が通る道は限られており、海上交通も盛んであり、村木砦の戦いはどちらも水運を強く意識した駆け引きが行われている。

そんなところだろうか。

史跡としては取り立ててみるべきもがあるわけではないので、万人におすすめできる場所ではない。 けれどもこの時代が好きな方なら、当時の地形と現在の地形の差異や、水野氏の拠点である緒川城や刈谷城との距離を考えながら訪れてみると、なかなかおもしろい場所であることは間違いないだろう。