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戦国大名水野氏の史跡をめぐる:東浦篇

尾張の織田の同盟者といえば、三河の徳川(松平)というのはよく知られている。
だが、知多と西三河を勢力下におさえていた水野氏は、ある意味、織田にとっては徳川以上の存在ともいえる戦国大名である。
元々水野は今川と関係を結んでいたが、信長の父信秀の代に織田方へと鞍替えし、それ以降は攻め寄せる今川に対抗する重要な勢力だった。

以前に書いた村木砦は、この水野を攻めるための今川の橋頭堡として築かれた拠点である。
村木砦の戦いが激戦になったのも、信長にとって大切な同盟者を守るためにかなり無理をしてのことだった。
もし水野が織田に組みしていなければ、その後の織田のみならず、日本史は大きく変わったかもしれない。

やがて江戸時代になると、譜代大名として幕府の中でも重きをなし、幾人もの老中を排出する。

にもかかわらず、史料が乏しく戦国期の状況は不明な点が多々あるため、あまりよく知られていない。

のは、信長が足利義昭と対立し、四方に敵を抱えている際に、武田への内通を疑われ、粛清されたことが大きく影響しているのだろう。

そんな水野氏の戦国期の史跡をまわってみることにした。


東浦には仕事でちょくちょく出かけることが多かったのだが、なぜかここ最近は用事がなく、出向くことがない。
ネットで調べてみると、東浦ではウォーキングコースもあり、思い切って休日に電車で出かけてみることにした。

JRの大府駅から武豊線で2駅。
例の村木砦に近い尾張森岡の次、緒川の駅で下車をする。

まずは緒川城へと向かうために西側へ出る。

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駅の東側がバスターミナルになっており整備されているが、そちらはイオンがある近年整備された地域で、昔は海だったため、特に戦国期の史跡はないようだ。


緒川城址は勾配の急な住宅地のなかにある。
地元の子どもたちのための公園が整備されており、公園の入口の脇にある階段を登った場所に石碑や案内板が立っている。

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徳川家康の母、於大の方の出生地でもあるが、当時を偲ばせるものは何もない。

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城阯から水野の東の勢力範囲である刈谷方面を眺める。

 

緒川城の次は東浦町役場の西にある於大公園へ。
公園に隣接して宇宙山乾坤院という曹洞宗の寺がある。
ここは水野家の初代当主水野貞守の寄進によって建てられた菩提寺であり、第四代当主ら4名の墓がある。

寺の南側へと廻ると総門がみえる。

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この総門は緒川城から移築されたと伝えられており、事実ならば今のところ現存する唯一の緒川城の遺構となる。


入って進むと山門。

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ただ残念ながら、この先は現在は工事中で立入禁止となっている。
2年前に火災により本堂が消失。
他の建物も被害を受けてしまったためである。

水野家の墓はどうもこの先にあるようで、今回は訪れることができなかった。

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東の宇宙稲荷大明神は元々は緒川城内に祀られていたもの。


東浦篇は城址と乾坤院とのこの2箇所でおしまい。
本拠地にも関わらず、あまりめぼしい史跡がないあたりが謎の戦国大名でもある所以だろうか。

 

続いて水野のもうひとつの拠点である刈谷へと向かうのだが、徒歩の場合は時間が合えばバスを利用したい。
鉄道では東浦と刈谷の直通がなく、一度、大府へ出てから東海道本線で刈谷へと向かわなければならず、大回りだ。

於大公園、あるいは少し歩くが東浦の町役場から、町営バスのう・ら・らが出ているので、そこから刈谷駅へ向かうことができる。
1乗車につき100円で、別系統の路線へは引継券を受け取れば無料で乗り継ぎが可能であり、刈谷駅までの直通か、あるいは緒川の駅あたりで乗り換えとなる。

また刈谷では市営のバスが市民に限らずだれもが無料で利用できるので活用したい。

刈谷篇はまた後日に。