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本能寺の変の足利義昭黒幕説、あるいは室町幕府再興説について

本能寺の変の動機についてはもう諸説紛々であり、定期的に新しい史料が発見されたというニュースが登場する。
先日も新たな証拠として土橋重治宛光秀書状の原本が見つかったというニュースが報道されていた。 

www3.nhk.or.jp

発見者である三重大の藤田達生先生は、本能寺の変の真相として、足利義昭黒幕説を唱えており、光秀が足利幕府の復興を目的に謀反を起こしたのだという。
この発見でよりより自説の可能性が強まったとのこと。

ただ、原本が出てきたとしても、あまり意味はないのではないか。
藤田先生の説に関しては反対が多いのだが、光秀が室町幕府再興を掲げたこと自体について疑問を持つ人は少ない。
本当にそれが謀反の理由だったのかどうか、つまり後付だったのではないかということが問題なのだ。


足利義昭の家臣であった時期もある光秀が、彼を復帰させるというのをお題目にするのはなんの不思議もない話である。

足利氏は以前の威光は衰えたとはいえ、武家政権の旗印としてこの当時でも大きな力を持っていた。
足利氏は源氏のなかの名門中の名門である。
源義家の四男源義国を祖とし、鎌倉時代には北条氏と縁戚を結び、その勢力を増大させた。

朝廷側が勝利を収めたのも足利尊氏が後醍醐天皇についたのが大きな要因である。
信長にしても追放後も義昭のことは無碍にはできずにいたし、義昭も毛利輝元の庇護の元、鞆の浦で積極的に活動を続けていた。

下克上の世とはいえ中央政界での反乱ならば大義名分は必須である。
光秀が正当性をアピールするのに足利の名声を利用するのはなんら不可解なことではない。

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とはいえ本当に光秀が当初から足利幕府の復興を考えた上で本能寺の変を企てたとするとおかしなことになる。

なにより肝心の足利義昭の行動だ。
義昭は再上洛の機会を伺っていたと藤田先生は唱えているのだが、義昭が黒幕だとしたら、尚更本能寺の変にあわせて動かなかったのか。
後援者たる毛利氏の動きも不可解だ。
まったく準備をしているようにはおもえない。

細川氏との関係も妙である。
細川藤孝は義昭から信長へと乗り換えたとはいえ、関係を全く絶ったわけではない。
藤孝は傍流とはいえ細川家は足利家の重臣中の重臣であり、しかも細川は明智家とは姻戚関係にある。

藤田先生は、光秀が藤孝に送った書状で、藤孝の息子の忠興をより高い地位に登らせるために信長に背いたと書いてあるのは忠興を管領の地位にするという意味だと述べている。
だが、正直、彼らの関係性を考えれば、雑賀衆の土橋重治への文面と比較しても、なぜそんな回りくどい言い方をするのか理解しがたい。

基本的に室町幕府復興説の証拠としては、本能寺の変後の書状が中心となる。
だが豊臣秀吉も自軍に勢力を引き込むために、信長はまだ生きているなどの嘘情報を書いた手紙を各所に送っていることを考えると、光秀が事前に義昭復帰に動いていた証拠が出るか、あるいは義昭側の証拠が出て、ようやく俎上に載せるべき話ではないのだろうか。

現状、仮に光秀が本心から足利の再興を考えての行動だったとしたら、単に独りよがりの行動でしかない。
しかし流行りの四国説などと比べれば、実行までに準備する時間はもっとあるはずで、ここまでずさんな行動は考えにくいのではないだろうか。

藤田先生は従来とは異なった視点で語ることが多い学者だ。
そのため話はなかなかおもしろいのだが、ややもすると独自性を出すことそのものが目的となっているのではないだろうか。
そこに矛盾が産まれているように感じるのだ。