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4はしっかりしていて5は適当なものって? 戦国四君と春秋五覇

今日は小ネタ。

人気歴史マンガのキングダムには趙の三大天なる用語が登場するが、この称号は記憶になく、おそらくは原さんの創作なのだろう。
趙には恵文王の時代に、廉頗、藺相如、趙奢という3人の功臣が存在しており、そこから着想したとおもわれるし、実際に作中でもこの3人の名前が先の三大天として登場する。
その他にも六大将軍や中華十弓などの名称が出てくるが、これらも同じく創作とおもわれる。

こうした数字の語呂合わせ?はよくあるが、この時代(とはいってもキングダムの時代よりは昔)で、有名な俗称といえば春秋五覇と戦国四君ではないだろうか。

春秋五覇は春秋時代、周王朝が衰退した中で大きな力を持った有力な諸侯で、戦国四君は各国が王を称し秦が台頭してくる中で、多くの食客を抱えた名士としての代表的な存在である。
(戦国四君は戦国四公子というと名前のほうが向こうでは通りが良いだろうか)
春秋五覇のひとりに数えられる秦の穆公や、戦国四君の信陵君はマンガの作中では故人ではあるが、大きな存在として名前があげられる。

春秋五覇、2人は確定だが

とはいうものの春秋五覇が誰であるかは定まっていない
斉の桓公と晋の文公の2人は問題ないとして、問題はあとの3人だ。
先にも挙げた馬肉と酒のエピソードの秦の穆公、宋襄の仁で大敗した鄭の襄公、3年鳴かず飛ばずの楚の荘王、呉の闔閭やその息子の夫差、越の勾践らがあげられるが、古代から人によりリストアップが異なる。

覇者は威光の衰えた周王朝を補佐する実力者で、会盟を開いて諸侯と盟約を結んだり、争い事を仲裁したり、侵入してくる異民族と戦う者である。
そうなると鄭の襄公は実力不足だし、穆公の時代の秦は普との勢力争いには大きく関係しているが、中央へはそれほど関与しておらず、どちらかといえば、西方の異民族たちの覇者というイメージが強い。
楚や呉越のトップは王を名乗っているので、周王朝と対立する存在になってしまう。

なかには残りの3人を、文公以降の普公を並べるなど、語呂合わせ的な意味合いが強いものだとおもわれる。

戦国四君の格差

一方で戦国四君は孟嘗君、信陵君、平原君、春申君の4人ではっきりと定まっている。

が、そのかわり、評価については2分されている。
孟嘗君と信陵君は比較的よいイメージの逸話が多い。
特に信陵君は、他の3人と異なり、対秦の指揮官として軍事面で大きな功績を上げている上に、身分の下の人にもへりくだるなど、人柄のエピソードもプラス的なもので占められている。

反対に平原君と春申君は失敗談が多い。
平原君は軽率な振る舞いや発言のオンパレードだ。
孟嘗君や信陵君も多いのだが、その後に失敗をカバーしてくれる食客が出てきたりする。

また春申君は政治家としては遷都の立案や、魯の併呑など、それなりの実績をあげている。
だが、なんといっても最期が殺害されており、身ごもった自分の愛妾を王の后にする陰謀が原因となったというエピソードが大きい。
この逸話自体はその後の始皇帝をはじめとして、日本でも斎藤義龍の出生などに手を変え品を変え語られており、事実かどうかは疑わしいが、彼の印象を悪くしているのだろう。

現代語訳 史記 (ちくま新書)

日本でも武田二十四将や、徳川十二神将など数字の語呂合わせ的なユニットは定番だ。
ただこうしたユニットは、数合わせのために格が違ったり、対象そのものも定まっていないことが多い。
ネットではよくある「四天王の中で最弱」ネタは鉄板だが、やはり実力の合う人間を数人揃えるのはたいへんなことに違いない。