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シンプルで合理的な生活

始皇帝がいなければ中国史はどうなっていたか、というあまり盛り上がらない想像

年明けの頃に、欧州列強により植民地化されていなかったらアフリカはどうなっていたかという仮説に基づいた地図が話題になっていた。

togetter.com

こうしたなかで、始皇帝がいなければ中国史はどうなっていたかという話もあった。

先に自分の中の結論から書けば、始皇帝が登場しなくても遅かれ早かれ統一はされていただろう。
遊びとしてはあまりおもしろくない、というかほとんどの人が考えるようなものだ。

始皇帝という個人の存在意義

始皇帝自身は有能だったことは間違いないだろう。
だが、統一に関しては彼の存在はそれほど重要ではなかっただろうとも容易に考えられる。
始皇帝というよりこの当時で言うなら秦王政がなにか特異で傑出した人間であり、それが影響したというわけではない。

秦がはじめて黄河流域と揚子江流域を合わせた範囲の土地を勢力下に治めた要因としては、彼の存在はそれほど大きくはなかっただろう。

官僚と法治の国

秦はこの当時では、すでに政の曽祖父である昭襄王の晩年には、他の国々を凌ぎ一強という形にまでなっている。

これには先進的な官僚制度の法治国家だったことは大きく働いている。

秦のシステムをあらわす特異な例として、春秋時代の穆公の百里奚をはじめとして、歴代の有力な家臣の多くが、本人やあるいはその先祖が他国の出身である点だ。
戦国期に入ると宰相クラスの重臣で思いつくだけでも、商鞅(衛)、張儀(魏)、范雎(魏)、蔡沢(燕)、呂不韋(衛)、そして李斯(楚)と、秦の覇権を支えた人物たちが勢揃いする。
しかもその大半があまり身分がしっかりしていない者たちである。

祖父の孝文王、父の荘襄王と短命な王が続いたが、それでも秦の勢力は揺るぐことはなかった。

他の六国でも他国の人材を雇用していたが、戦国四君のうち3人が王族であったように、どうしても自国の上級貴族がその中心となっている。

楚でも呉起が商鞅と同じように改革を行い、そして同じように王が変わって殺害される事件があった。
だが秦ではその後も商鞅のつくりあげたシステムが続けられたのとは反対に、楚では貴族たちの巻き返しにあってしまったように、貴族の力は侮れぬものがあった。

商工業の発展の影響

この時代は黄河流域の旧三晋(魏・趙・韓)を中心に商工業の発展が著しい時期だった。
彼らのなかには巨万の富を築いたものもおり、先にあげた呂不韋や、製鉄業で富をなした郭縦などは、その代表的な例になるだろうか。

商工業が盛んになれば、統一された統治機構が望まれるのは必然だろう。
始皇帝の功績として、度量衡、貨幣、文字、馬車の轍の幅の統一といったものが挙げられるが、これらの統一は人々が求めたものではなかったのだろうか。

嫌われる秦のシステム

当然のことながら、その後の崩壊までもたやすく想像できる。

秦は先進的な国とはいえ、他国民に好かれてはいないという現実がある。
秦の傘下に入ることを嫌った上党の人々が逃げこんだことが長平の戦いへの引き金になった。

旧三晋の韓魏趙のように、商工業の発展が著しい都市国家では、各都市の独立性が高い。
反対に秦は農本主義ではあり、中央集権的な性格の強い国で、相性がよいとはいえない。


秦が嫌われていたもうひとつの要因として、法治主義もあげられるだろう。
現在でも法は法を知るものの味方と言われるくらいではあるが、この当時はさらに一部の人間のものであった。
文字を読み書きできる人間が一握りであり、印刷技術もなく、文字の読み書きができるだけで役人になれる可能性のある時代である。

劉邦が咸陽を落としたときに、法三章として「殺人、傷害、窃盗」をそれぞれ刑に処すという極めてわかりやすい決まりにして民衆の喝采を浴びた逸話は、法律に対する当時の人々の感情をあらわしている。

秦にとって他国とのアドバンテージだった部分が、統一後はむしろ不安定要素となる
広域の体制が望まれる反面、秦のシステムに対する拒否感もあり、漢はそのギャップを修正することで、長期的な国家を築きあげることとなる。

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残念ながらKindle化はされていないが、やはりこの時代の概略を知る定番書籍で、手に入りやすいのは今でもこの本だろうか。