oregano note

シンプルで合理的な生活

過疎地の居住に対する「インフラのフリーライドという批判」の批判とコンパクトシティについての雑感

日本において、人口減少にともなう問題が訪れることは、近い将来避けられない状況だ。
すでに空き家の増加や、首都圏ですら過疎化が起こりつつある地域が出はじめている。
その一方で、人気のある都市部ではさらに一層の過密化が進みつつある。

こうしたなか、人口が減少する過疎地への在住を選んだ人間に対し、

インフラをフリーライドしている

という批判がネットで散見されるようになった。

フリーライドという言葉は経済用語ではあるが、いつの間にかバズワードと化して、
発言者にしても、定義がよくわからないで使っているのではないかと

はじめはコンパクトシティ政策をめぐる話なのかと考えていたが、どうも批判者の言動が腑に落ちずにいた。
検索してみると、どうも電力政策がらみが発端のようで、あまり関わりたくないような感じである。

GEDC0208


本質的に、インフラのフリーライドという言説はかなり質の悪いものだ。

厳密なただのりと考えると、まずその前提として間違っている。
よほど極端な人を除けば、ほとんどの人は固定資産税も所得税も支払っているだろう。
過疎地の固定資産税は金額はそれほどでなくても、二束三文の不動産に対してはかなりの割高になる。

ではひとりあたりのコストと考えると、純粋な水道光熱費や道路の整備では過疎地の方が高いのは言うまでもない。
だが、都市部では火災や交通対策などのコストはより高くなるし、コストを掛けても解決しない問題もある。

インフラ自体、単純なコストの高い低いで語るべきではない問題だ。
現在は都市部と過疎地だが、首都圏と地方都市、さらに首都圏の都内と、常に少なからぬコスト差は生じている。
今は相手を叩くための理屈が、別の視点からは自分に降り掛かってくることにも考えをめぐらせば、避けた方がいいはずである。

人口減少と時間がコンパクトシティ化を後押しするのではないか

こんな話で終わるのは悲しいので、コンパクトシティについての雑感を。

たしかに今後の日本の指針として、コンパクトシティはひとつの解であるのは間違いないだろう。
人を都市に強制的に移住させてしまうのは現在の国家としても好ましいことではなく、各自の事情を優先すべきだが、自然とコンパクトシティへと向かうのではないかと予想している。

現状、打ち出している都市は必ずしもうまくいっているとは言えないが、それでも人口減少がそれを後押しするのではないか。


ただ、日本のような雨の多く湿度の高い気候風土では、人の手が入らなくなった土地は、恐ろしい速度で自然へと飲み込まれていく。
自然との共生という言葉にしてしまえばファンタジーだが、実際には21世紀に入っても、自然の力に人間は圧倒される側だ。
人が住まず、さらに往来もなくなった土地というのは、利用価値が著しく低下するだけでなく、災害、治安、隣接する住宅地の環境の悪化などにも大きく影響する。
野生動物や昆虫も都市部に侵入しやすくなるし、都市間も非居住地が広がれば、インフラの維持コストもよりシビアになる。

コスト削減がかえってコスト増加につながる可能性は考慮しなければならない。

Untitled


反対に都市部は予想以上に過密化が進む可能性が高い。
それも地方都市でなく首都圏にさらに集中するだろう。

古代より人は人の多いところに集まってくる。
先に自然とコンパクトシティ化すると書いたが、それもすぎれば、過密化故の問題も増えるだろう。
ローマ、バグダード、開封、ロンドン、江戸など、大都市はそれに応じた大きな問題を抱え込むことになる。

既に東京一極集中はすでに、住環境から交通、そして防災に至るまで、かなりの不具合を発している。
だが、土地の資産価値から、役所や企業の権益、個人の利益まで、東京が所持している利益は大きいため、おそらく首都機能の分散すら実現できずに終わる可能性が高い。

そのため、コンパクトシティもあえて打ち出さず、自然に任せるほうがよいのではないだろうか。