oregano note

シンプルで合理的な生活

【書評・レビュー】文字は禍か、それとも祝福か。伊藤悠『シュトヘル』

シュトヘルは西夏文字を主軸にした歴史群像劇だ。
作者は『皇国の守護者』のコミカライズで好評を博した伊藤悠。
『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』のキャラクターデザインにも起用されていることもあり、馴染みのある人も多いのではないだろうか。
 
だがその割にこの作品の知名度が上がらなかったのは、モンゴル帝国勃興期というマイナーな舞台設定と、次第に重めの展開になるストーリーのためだろうか。
先日、最終巻が発売されたこともあり、おすすめポイントとレビューとを書いてみたい。 
Wikipediaには途中までのストーリーがかなり詳細に書かれてしまっていることもあり、これから読もうと考えている人は見ないほうがいいだろう。
もちろんネタバレ上等ならば構わないが。
 

あらすじ

物語は21世紀の日本から始まる。
高校生須藤は頻繁に同じ夢を見る。アジアのどこかの城壁で街を焼かれ、死んでゆく大勢の仲間を看取りつつ、彼らの最期の言葉を伝えられぬ焦燥に苛まれている。
そんな夢見のせいか、常に眠気がひどく学校もサボりがち。
さらに楽器職人とおもわれる親は失踪し、家の電気は止められている有様だ。
 
ある日、友人たちとカラオケに行くと、鈴木さんという転校生の少女がいることに気がつく。
クラスメートの話では帰国子女の鈴木さんは須藤の写真を見てカラオケに来たのだそうだ。
結果、そんな彼女を須藤は自分の家まで連れてきてしまう。
 
だが、鈴木さんが作りかけの楽器をひく様子を見せると、風景が変わり、須藤は首をくくられた女として目覚める。
突然の出来事に驚く須藤の前に、鈴木さんとよく似た遊牧民の服装をした少年が現れる。
 
ユルールと名乗るその少年はモンゴルの大ハーンの血を引く皇子であり、モンゴルがこの世から抹殺しようとする西夏の文字を玉版に刻んだ「玉音同」なる辞書を護る旅に出ている途中だという。
 
そこから須藤はモンゴル兵に恐れられる女戦士シュトヘル(スドー)として、西夏文字をめぐる奔流に巻き込まれていくのだが……
 

おすすめのポイント

世界史に題材を採ったマンガとしては、幸村誠の『ヴィンランド・サガ』が近い作品になるだろうか。
作者のメッセージ性が強く出た作品で、作風としてはもう少し堅めで、ストーリー展開もダイナミックで早いのだが、ヴィンサガが好きな人には愉しめるのではないかとおもう。
 
一方で戦闘シーンがかなりを占めるとは言え、『キングダム』のように戦闘シーンそのものが主体となる作品ではなく、『ゴールデンカムイ』のようなコメディ部分は少ないので、そういった作品を期待する人には期待はずれとなりそうだ。
 
舞台として、西夏、モンゴル、金、南宋(四川省)あたりだが、幾つかの巻末には簡単な地図は記載されている。
高校の世界史レベルの知識があれば読むのには困らないが、特に知識はなくても歴史マンガに逃げて意識がなければ問題なく読めるだろう。
 
基本的に歴史上の人物がほとんど登場せず、キャラクターとして描かれるのは、チンギス・ハン(作中では大ハーンかテムジンと呼ばれる)、トルイ、欽宗の3人で、当然のことながら欽宗はかなりの昔に死亡しており、金の老将軍ジルグスの回想として登場する。
 
とはいえ、せっかくならWikipediaあたりで、モンゴル帝国のページの冒頭からオゴディ時代までに目を通しておくとより愉しめるかもしれない。
 
各所で言われていることだが、井上靖の『敦煌』を思い出す人は多いだろう。
『敦煌』は主人公が西夏の文字に惹かれ西方へと旅立つ話だ。
シュトヘルの時代よりもかなりさかのぼり、西夏が建国した時代である。
 
もうひとつ、中島敦の『文字禍』も連想する人もいるかもしれない。
ただ、こちらは古代バビロニアのため舞台設定がかけ離れている。
 

行動原理のしっかりしたキャラクターたち

『シュトヘル』の大きな魅力として、登場人物の行動原理と変化がしっかりと描かれており、違和感を覚えさせないところにある。
 
西夏の女戦士シュトヘルは、もともとは弱い一兵士に過ぎなかったが、モンゴルに従うツォグ族のハラバルに戦友たちを殺され、仲間の死体を狼から守るうちに変貌を遂げる。
一時は獣のようにただひたすらモンゴル兵を殺戮する復讐鬼となるが、ユルールと出会ったことをきっかけに、次第に単なる復讐だけでなく、これまでに出会った人々の生きた証として西夏の文字に残そうと考えるようになってゆく。
 
ツォグ族の長の息子で弓の名手ハラバルは、万夫不当の勇者であり、常に武によって己の道を進む男だ。
母親が西夏の出身であり、彼女を母親代わりに育ったユルールを愛しながらも、文字に対しては一歩退いた立場でみている。
情も強い人物だが、目的のためには非常になりきれるだけの精神的な歪みのなさもある。
 
大ハーンに使えるヴェロニカは修道女だったが、その純粋さ故にジプシーたちとも分け隔てなく接したため、魔女の烙印を押され親友を殺される。
その復讐のためモンゴルにより故郷を焼き払わせるべく、大ハーンの障害となるものを排することに躊躇がないが、一方で須藤の乗り移ったシュトヘルに親友の面影を見出すのか、彼女(彼?)に対して複雑な感情を抱く。
 
テムジンの後継者ツルイの双子にして影武者だが、それゆえにモンゴルに瑕疵になりそうなことが許せないナラン。
彼の秘密を守るためなら独断専行もいとわないヴェロニカを悪いものと称し、排除しようと企む。
やがて大ハーンの秘密を知った彼は、さらに別の想いを抱いていく。
 
しかし、なかでもやはりユルールの成長と行動だろう。
ユルールにつきそうボルドゥの「玉音同を運ぶ船としか見ていなかったが」というセリフに象徴されるように、彼の意識の変化がストーリーの重要な鍵となる。
当初は文字に耽溺する少年として、理想に走りがちなところがあったが、次第に目的のためにリアリストの面を見せはじめる。
 
別の視点としては大ハーンの最有力後継者トルイの設定も興味深い。
物語のストーリー上でもきわめて重要なポジションのキャラクターではあるが、双子の存在の設定など史実とは離れた設定を持っている。
実在の人物として大ハーンは物語中でもややシンボリックなタイプだが、トルイはリアルなキャラクターとして動く。
 
現実のトルイもやや複雑な動きを見せる。
末子相続が原則のモンゴルではあるが、チンギス・ハンの死後、最終的に彼は権利を放棄し、一歩退いてオーガナイザーとして振る舞い、そして早逝する。
そんな史実の動きが『シュトヘル』ではある事情によってもたらされていることが伺えるのだが、そのあたりは本編の最後の方で語られるという仕掛けもある。
 

活かしきれていない部分もあるがそれを凌ぐ魅力

もっともいくつかの不満はある。
本編に遊びがほとんどなく緩急があまりなく、特に終盤は急展開でありストーリーを追っている感が強くなる。
この作品にはあまり効果的でなく、もう少し丁寧にじっくりと読ませる方がよかったのではないだろうか。
 
また、転生(転移?)とTS要素も入っているのだが、意図はわかるものの、あまりストーリー上で活かしきれていないのが残念だ。
前者はまだ21世紀の日本の高校生である須藤の感覚がストーリー上に生きてくるのだが、TSに至ってはあまり必然性を見いだせず、どうせ歴史を小さく改編するのなら、ユルールが女、シュトヘルが男でもよかったのではないか。
そしてもう少し現代の描写を多くしても良かったのではないだろうか。
 
全体として、盛り込みすぎたのではないかという印象はある。
全14巻だが、もう数巻、できれば20巻以上をかけて描き上げるべき作品だったとおもう。
 
だが、こうした不満はあるが、魅力のほうがそれを凌ぐだろう。 
舞台とテーマ設定が人を選ぶ可能性があるとはいえ、実際の史実の流れを知らなくとも愉しめるはずで、歴史物語に抵抗がなく強いテーマ性のあるしっかりとしたストーリーを求めている読者ならば、ぜひおすすめしたい作品だ。