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書評:講談社興亡の世界史 羽田正『東インド会社とアジアの海』

歴史が苦手な人の多くには、学校での暗記科目としての印象が強いからという。
縦へのつながり、つまり時間を遡るあるいは下る学問のため、用語の暗記よりも、物語的な因果関係を主軸に置くほうが理解がしやすいのだが、なにしろ他の教科もあることだし今の学校教育ではそんな時間はなかなかない。

鎌倉幕府を理解するにしても、侍所だの政所だのと役所の名を暗記するより、北面の武士あたりからのストーリーとして考えると、なんとなくわかった気になって、あーそーゆーことね、だいたい理解した、となる。

ただし、そうなると今度はさらに前へ前へと遡っていくことになるのだが。


とはいえ歴史を横断して俯瞰するには、浅く広い見識が必要となる。
そして、この浅くというのも本当に浅いわけにはいかない。

東洋史学者の宮崎市定が、粗が多いながらも今でも評価されているのは、世界史を地域史としてだけではなく横への視点を持った研究者であったことが大きいだろう。


講談社の興亡の世界史はそんな巻が多いのだが、羽田正『東インド会社とアジアの海』はこのシリーズの特徴をよく表した1冊だ。

興亡の世界史 東インド会社とアジアの海 (講談社学術文庫)


本著では15世紀にヴァスコ・ダ・ガマの航海からイギリス東インド会社がその主要な役割を終える頃までの、インド洋から東シナ海までのアジアの広い海域を、ヨーロッパ諸国の活動から記述している。

大航海時代という用語でひとくくりにされがちの時代ではあるが、インド・中東と東南アジア、そして東アジアの各海域によりどう異なっていたのか。
その原因となったのは海に対する陸の支配者の態度であるという。

インド洋では周辺諸国の支配勢力が海上にあまり興味がない。
彼らは内陸での活動を主体としており、港湾都市を自らが直接的に支配するより、利用者から税金や利用料を収めることを主目的としていた。
そのためにインド洋は商人たちによる自由な交易の海となっていた。

この地域は後にイギリス東インド会社による植民地化のイメージが強いのだが、ある時点までは、ヨーロッパ諸国の拠点は港湾等の、まさに点に過ぎなかった。
海上とは異なり、陸地では武力で現地勢力に敵対できるものではなく、幾度となく不利な条件を飲まされている。
またヨーロッパ諸国にしても領土意欲よりも商業利益をあげることが目的であった。
ポルトガル海上帝国にはじまるこの地域でのヨーロッパの覇権は、海上を点と線とで結び、現地の港湾や要塞の支配権と引き換えに税金を収めることで成立していたのである。


しかし東アジアではそう思惑通りにはいかなかった。
中国の王朝や日本の武家政権は、海上勢力に対しても関心が強く、彼らがコントロール下から外れることを好まなかったのである。
明や日本の江戸幕府は、鎖国を行い一部の拠点以外の接触を認めない方針を採り、厳しくその動向を制御していた。

江戸時代の平戸が代表されるように、ヨーロッパの人々は、そこから先へ足を踏み入れることを許されず、交易内容も現地の役所に細かくチェックされていたのである。
インドや東南アジアでは比較的自由に港を支配して、現地勢力との税収の交渉が商業活動の重要な業務であったのだが、この地域では一挙一投足まで管理されていた。

こうした背景を元に、各国の東インド会社の性質の違いから、現地の社員の活動や、東南アジアへと渡った日本人女性など、個人の活躍にも目を向けている。

Watching the sun go down...

 

さすが海域比較や広域に渡るイスラム史学の専門家だけあって、かなり多角的に捉えた内容で、単純に読み物としてもおもしろいのだが、ひとつ気になることもあった。
但し書き付きながら、インド洋を経済の海とし、東シナ海を政治の海と称しているところで、たしかに東アジアでは現地勢力による統制により、ヨーロッパ諸国の動きにも大きな影響を及ぼしたが、それでもインド洋と同じく当時の支配組織から外れた人々により盛んに活動していたのである。
そう考えると、これはあまり適切な表現とはいえないのではないか。

また東インド会社とタイトルにあるが、それ以前のポルトガルのアフリカ進出から記述がなされている代わりにイギリス東インド会社がインドを支配していく過程がやや薄くなっている。
ただ、この時代は新書をはじめ多くの書籍が刊行されているため、問題にはならないだろう。