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戦国大名水野氏の史跡をめぐる:刈谷篇

戦国時代の水野氏の史跡をめぐる行程の刈谷篇。

東浦篇はこちら 

www.oreganonote.com

 

刈谷駅南口から市営のバス「公共施設連絡バス」という無料バスが出ているので、小垣江線か依佐美線に乗り、UFJ銀行前の銀座四丁目で降りる。

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バス停のあるこの場所は江戸時代に高札の建てられた札の辻

鉄道を利用するなら名鉄三河線の刈谷市駅で下車。
名鉄の駅は命名がややこしいが、刈谷市駅は中心地の刈谷駅から碧南方面に1駅離れている。

どちらを利用するにしても下車した後は徒歩で古い住宅街を通り、椎ノ木屋敷跡へと向かう。
ここは家康の生母於大の方が、織水同盟により松平広忠と離縁した後で暮らしていた場所だ。

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入り口だが、ごく普通の生活道路である。
この小路の坂を登ると、屋敷跡。

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今は小さな公園が整備されているが、小路を挟んだ隣の木と石碑の場所の方がそれらしく感じる。 

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クルマが入れない通学路ということもあって、
平日の午後だったこともあり、帰宅途中の小学生や親子連れで賑わっている。


続いて北へと向かうと、刈谷城
そもそも椎ノ木屋敷が刈谷城の一角ということもあって、すぐである。

城跡は亀城公園として整備されており、隣には刈谷球場がある。
例年中日ドラゴンズのオープン戦があり、去年は招待試合で清宮選手が試合に来ていた。

堀の一部を利用した池。

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公園内の坂道を登ると庭園があり、もっとも高い場所には天守閣....のようなものが建っている。

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この建物は戦国どころか大正時代に建てられた十朋亭という士族会員の会合場所。
今は市の施設となっており、会合用に貸出されている。

城のおもかげは公園の一部に残る石垣のみである。

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刈谷市では商工会議所を中心に天守閣を建てようといういう話が進んでいるようだが、このままの方がよいのではないだろうか。
郷土史絡みでは、かなり盛った設定が全国各地で頻繁にみられるし、これが町おこしや公共事業と結びつくと、あまり良い結果にならないことのほうが多いのだ。

亀城公園南の市原神社より村木砦の東浦方面を眺めるが、このあたりは境川と逢妻川が分離合流を繰り返して2本3本と流れており、完全な対岸まではみえない。

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南の方に楞厳寺という於大の方ゆかりの寺もあるのだが、時間がなくなってきたのと、微妙に距離が遠いので今回は見送ることにした。
結局、刈谷篇も2箇所で終了である。

今回、平日の午後の散策だったが、東浦と違い、遊びに来ている地元の人たちが多いので、あまり落ち着いて見て回るのは難しいかもしれない。
特に亀城公園は桜の名所でもあるので、これからの時期は益々人で賑わうだろう。

今回写真を撮影するのも人が入らないようにするのに一苦労だった。

また最後は徒歩で刈谷市駅まで戻ったが、バスの時間が合えば楽に買えることができるはずだ。

 

当時はかなり奥の奥まで海が入り込んでいるため、現在の地図を元にすると理解しにくい。
幸いにも同じく水野氏の話を書いている記事があり、地図を描かれていた(地元の人ではなく神戸のお医者さんのようだ)のでそのページにリンクさせてもらうことにする。 

d.hatena.ne.jp


本当のところ、水野氏の本拠といっても緒川と刈谷の関係性は微妙にわからない。
緒川が主で刈谷が従とも考えられるし、刈谷の方は独自で動いていた可能性も高い。
信長による粛清後の再興でもどちらが主だったかも含め、郷土資料からは身びいきな視点も少なくないように感じられるため、これをベースにしたWikipediaの記事も含め、あまり鵜呑みにしないほうがよいのではないだろうか。